自殺条件

私はかれこれ十年ほど死にたいと思い続けながらうっかり生きてきてしまった。本当ならもっと前に私の人生は終わる予定だったのだが、惜しい。

そもそも何故ここまで私が死に対して固執するのか。基本的に死にたい人間は自分の未来に希望がないとか、能力も何もないとか、愛されていないとかが多い気がする。(主観だが)実際私もそう思う。私には生きる価値も能力も何一つ持っているものはなくて、家族からでさえ価値がないと言われている。最早価値がないことに定評があるレベル。

まあだとしても死にたくないのなら死ななければいいと思う。別に価値がないからと言って死ななければならないことはないしそんなのは自分が決めればよい。でも私が死にこだわるのは、自分が死ぬことによるメリットがデカすぎるからだ。いや、本当にそうだ。私が一生かけても得られない程の利益が生じるのだ。私の死によって!

例えば私が生きているということは、私に付随して生活が存在するということだ。食事や衣服などが必要になる。しかも私は働いてもいない身で親に養ってもらっている。つまり私一人の生によってその分コストがかかる。こんな出来損ないでなにか利益を生み出すわけでも頑張るわけでも働くわけでもない人間のために父が一生懸命稼いだ金を消費しなければならないのだ。無駄どころじゃないゴミ箱に捨てているのとほぼ同じ。

それに加えて食事を作ったり洗濯掃除…と家事全般において一人分多いし、どうしようもない子供のために悩んでストレスを抱えたりもする。要は家族の生活における厄介ごとが私がいることでかなり多いのだ。子供を放棄はできないし責任があるので放り出すこともできず将来を不安に思いながら面倒を見なければならない。完全に邪魔だろう。こんなのが家にいたら害悪すぎる。

親戚もお年玉とかプレゼントとか余計なお金がかかるし、友人も何やってるかわからない馬鹿なやつの心配事とか愚痴とかくだらないことを聞かされる。

こうやって私が存在しているが故のデメリットがかなりある。だから死にたいではなく死ぬのが最も合理的だと考えるのだ。私が死んだ後を想像しても皆が幸せで裕福に余裕をもって暮らせているのが容易に思い浮かぶ。結局死ぬのが一番良い選択なのだ。私が死にさえすれば家族も友人も負担が減って皆ハッピー。最高の未来が待ってる。私の死で皆が幸せになれるなんて最高だと思わないか?こんなに死ぬのに適した条件が揃っているなんてなかなかない。

それなのに未だにグズグズ生きてしまっている。自殺はことごとく失敗し、事故にあっても何故か元気…。早く死にたいのだがいつになったら私は死ねるのだ。死ぬために後何が足りないのだろう。

早く生きてる重圧から解放してくれ。

樹海

好きな人、というものがよく分からない。

好きというのは、性格が良いとか、能力があり尊敬出来るとか、一緒にいたいとか…だと思う。で、色々考えた結果、たどり着いたのは、僕の中での好きは「付き合いたい」ではなく「こうなりたいに近い」だった。僕の抱く好きはどうやら恋愛感情より憧れが勝つらしい。自分より優れて尊敬出来る人間を好み、強くひかれ憧れる。いつしか、こういう人になれたらなあと思い始め、ついにはその相手の能力に嫉妬さえする。そしてボロが見えてきたり裏切られたりして理想から遠のくと興味がなくなる。

結局、どうやら僕は僕がなりたい姿をしている他者が好きなだけ。要は他者を通して理想の自分を愛でているに過ぎないのではないか?

もちろん、愛を囁かれたり大切にされるのは嬉しい。でもこれも、自分を大切に扱ってくれて愛してくれるという行為に対する「好き」であって恐らくその人がしているからではないのだと思う。愛されている自分が好きに過ぎない。

つまり僕の好意はただのナルシズム。実際の相手個人のことなどほぼ見えていないに等しい。僕は自分が可愛いだけのようだ。

そして思った。そもそも他人へ愛を伝えたとしても理想通り返ってくるかどうかという不確実なものより、最初から自分から自分へ愛を向ければ全て自分に跳ね返り何ひとつとして欠陥のない両想いが出来上がる。誰からも愛されない僕のような人間を唯一愛せるのは僕自身しかいないと思うし、これなら誰にも邪魔もされない。

これで僕は恋愛という樹海から抜け出せる。

解放

疲れてしまった。

誰かと恋に落ちた、付き合った、友人とすれ違った嫌われた、努力が出来なかった、何も出来なかった。そういう全てに疲れてしまった。家族とさえ関わるのが辛い。誰かと関係を持つのが重しになる。人と関わるのが怖い。

今日も上手く生きれなかった。毎日怠惰なままで、周りは頑張っているのに、成長しているのに、まともなのに、僕はダメだった。ダメだったんだ。

誰かが「死にたいと思っても実際死に直面すると生きたいと思うものだ。」と言った。

僕はこの前死にそうになった。それでも、「嗚呼、やっと楽になれるな…」と思った。酷く安堵し目を瞑り幸福さえ感じた。結局助けられてしまったけれど、確かに死に対して僕は安堵したのだ。

明日への恐怖、家族の期待、人間関係、自分の能力、世間の目、将来への不安…。

それら全てをその一瞬で消え去ってしまえるなら僕の命などどうでもいいと思える。それだけでひどく安心してしまう。

きっと僕は生きなくていいと言われたい。死ぬことを許されたい。否、死ぬことを望まれたいのだ。きっと。

楽になりたい。

眠りたい

線路に降りそうになった。

ぼんやりあてもなく電車に乗ることを目的として電車を待っていた。残り10分。ホームには僕一人。何となく線路を覗く。不思議と温かく見えた。心地よくてキラキラしてきっと安心できる気がした。

でも多額の賠償金やら何やら僕のせいで迷惑をかけたくないのでやめた。まあきっと、ただの寝不足だったのだ。

午前3時。必死に眠ろうとする自分と眠気が来ない頭との格闘が毎晩終わらない。朝も昼間もあんなに眠たいのに、夜だけは眠くない。一日のダメだったことが、出来なかったことが、不安が押し寄せて眠れない。何時間も必死に目を閉じて眠るために苦しむ。

でもそもそもなぜ寝なければならないのか。無意味で無価値でなんの意味もない明日を迎えるためにこんなに頑張ってるんだろうか。明日なんか永遠に来なければいいのに、そのために何故頑張って……。

午前6時。眠いのに眠れない朝。気持ちが悪い。クマが酷く、顔色が真っ青だ。コップ一杯の水と思考停止した頭が朝食を拒否する。そしてそこから3時間朝日の中うとうとする。その瞬間、いつも私はこのまま死ぬのではないかと疑う。

母に怒られたくなくて浅い睡眠で起きて胃にものをいれ、またダメな人生を歩く。いや、むしろ現実に引きずられる。

 

ただ独り。

生きているだけですごい。

めちゃくちゃ世間的成功者の語る希死念慮ってなんだとおもいます?

いや、まあ生きていればどんな成功者でもつらいことはあると思いますよ。でも成功しているだけいいじゃないですか。さも、こちら側の絶望を理解しているみたいに語り掛けてくれちゃいますけど多分、多分ですけど全然レベルが違くないですかね。「死にたい」の一言をとってもすごい幅があると思うんですよー。本当に死ぬしかないような人に笑いながら「ああ、うん。わかるわかる。私もいつも死にたいよ笑。」的なテンションで話しかけられても、それ絶対煽ってますよねってことです。

他人の批判はともかく、最近はしにたいはしにたいですがだいぶ明るい病み方になってきましたね。「今日も目が覚めてしまったかー。頑張りたくはないなあ。まあ明日明日。明日だめなら来世来世。寝よう!」みたいな感じになってます。頑張りたくないんですよ。二十歳の若者が何をぬるいことを言っているんだと叩かれそうですが、頑張りたくないものは仕方なくないですか。頑張ったって報われる保証もなく、どんなに地位を高めたりお金を手にしても結局いつかは死ぬので。無駄じゃないですか。何もなくなるために頑張るんですか。いやですよそんなの。できるだけ楽して、楽がだめなら死んでもいいくらいの勢いで生きたいですね。生き急ぐくらいなら死に急いでいきますよ。

まあそんなこと言っても「生きていれば楽しいこともあるさ」とか言い出す人がいそうなんで言っておきますけど、楽しいことって何ですか。そんな一瞬の娯楽のためにあとの八割九割の苦しみを耐えるんですか。だいたい生きていたって楽しいことほとんどないですよ。朝は起きるのが辛くて、ご飯食べるのが面倒で、着替えはだるくて、わざわざ外に出て人に文句を言われながら関わって働いて、お金を作って、帰ればまた家の人に文句を言われる。極度の人間不信なので恋人は生理的に作れませんし、家族でさえも信用はできず誰にも頼れませんからストレスはたまるしかなく。こんな人生の何が楽しいんですかね。まったく理解できませんよ。唯一の楽しみは疲れた時に飲むアルコールだけ。アルコールは何でも忘れられるので好きですけどそれも記憶ごと飛ぶので楽しくはないですね。ほら、結局何もないじゃないですか。

布団でごろごろして生きてるだけですごいって言われたいんですよ!生きてるんですよ。すごいじゃないですか。こんな何の意味もない人生を生まれてしまったが故に強制的に生きなきゃいけないのに、ちゃんとまだ生命をつないでいるんですよ!?褒められていいですよこれは。生きている全ての人類の皆さんすごいんですって。だからもっとゆるくいきませんか。適当に食べて飲んで息していたくないですか。頑張るのはやめましょうよ。疲れたくないです。

はあ、現実逃避ですけどね。

アネモネ

どんなに信じても必ず裏切られる。だから期待なんてしたくなかった。でもどんなにしないようにしていたって心の隅では少し期待してしまうもので、それが裏切られた時の痛みは計り知れなくてまるでナイフで心をめちゃくちゃに刺されているみたいだ。痛い。本当に痛い。頭まで犯されているほどの苦しみ。

私は愛されたかっただけなのだ。愛されないと分かっていても甘い夢を見てしまったのだ。許されない望みを抱いた罰は厳しくて、きっと私はもう誰の言葉も愛も何も信用なんてできなくなってしまった。私の人間関係も信頼も愛も終わってしまった。もう例え愛されてもそれを感じることも理解することも信じることもできない。寂しい世界になった。

私は幸せになりたかったのになあ。許されないんですか。こんなに努力しても尽くしてもダメなんですね。私は愛を抱いてはいけないんですね。

不自然な笑みが込み上げてきて泣きながら笑って色んな思い出を振り返って、それでも相手を責められない。私が悪いのだろうと思ってしまう。全部全部私のせいで、私がここに存在して人に愛なんか抱くからこんなことになったんだと。理解ができない。どうやったら生きていけるのか。どうしたら幸せになれるのか。なんでこんなに孤独なんだ。家族にも誰にも愛してもらえないんだ。つらい。ただただ素直につらい。消えてしまいたい。

愛ってそんなに軽いんですか。誰にでもあっさり伝えるんですか。ひと月も経たないうちに消え去るものなんですか。私の何がだめですか。全部ですか。存在そのものですか。生まれなければよかったんですか。どうして皆さんは楽しそうなんですか。私はどうして笑えないんですか。救いがないんですか。

何を思えばよかったのだろう。どう生きたらうまくいっていたのだろう。私という生命自体がだめなのか。何も考えられない。何のために生きればいいのかわからない。でももう二度と誰も信用しない。誰の言葉も届かない。私はたった一人の世界を歩いていく。何一つ期待せずただ死ぬために生きていく。それしかすることがない。

生命の浪費。ああ本当に生まれなければよかったなあ。こんな無意味な世界をいきるくらいなら。死にたくないけど生きたくない。生まれたことを嘆くばっかりだ。もう疲れたなあ。

疲れた。

自業自得

悪夢はいつ覚めるのか。きっと死ぬまで覚めない。

朝日が痛い。失敗を繰り返して生きるのが怖い。日々が冷たくて何もない。毎日何も起きない。真っ白なジグソーパズルをひたすら作っている気分でいつまでたっても完成せず、先も見えない。苦しいし辞めたいのにやめられない。

ここ最近不眠が特にひどくなった。毎日、自分か誰かが自殺する夢を見て起きてしまう。五時間寝れば長いほうで、流石に体力と気力の限界なのにそれでも眠れず、常に注意力散漫だ。それに、自分が死ぬ姿を見て起きるのは気分が悪い。毎日死んでいるようなものなのだ。早く死になさいと洗脳されている気分になる。最早、起きた瞬間から襲われる吐き気と頭痛を感じない日はなくなった。正直かなりきつい。だんだん夢と現実の区別が曖昧になって今がどっちなのか考える時もあるほどだ。本当に頭がおかしくなりそう。今までの自分の全てのツケが回ってきてしまってどんどん首が締まっていく。後回しにしていた問題に追われているのに身動きが取れなくて、ただただ他人事のように傍観を続けることしかできない。まさに自業自得。

もうどうすれば良いか何一つわからない。人間関係も学習も家族も自分自身も何もかもが壊れている。空回りとすれ違いでぐちゃぐちゃでどれも戻せないし直せない。全方面が包囲されて後は首を落とされるのを待つだけ。助けなんてない。味方はすべていなくなってしまって一人。極度の人間不信。誰にも頼れない。でもこの苦しみが外的要因ならよかったのに全ての責任は自分自身でただただ責める相手は私しかいない。無限ループ。終わりがない。いっそ夢のように…まで考えて頭を横に振る。死にたくはない。無駄でも生きていたい。生きているだけで褒められたい。もうそれで十分だと思いたい。すべての期待を殺したい。そして寝たい。とにかく安心して寝たい。こんな毎日不安に侵されながら息をするのは疲れてしまった。楽になりたくて酒に逃げるのもうんざりでそんな自分が嫌いで嫌いでたまらない。でも信じられるのは自分しかいないので鏡に向かって薄ら笑いで嫌いな自分を褒めるしか生きる手段がない。もうだめだ。全部終わりだ。どうにもできない。諦め諦め。

生きるのが難しすぎる。