一人

僕らは何のために生きるのだろう。僕の世界は何でできているのだろう。

死にそうなほど息苦しいこの現実を生きる意味なんてどこにあるのだろう。世界の重さに溺れるだけ溺れて何も見えなくなった先で立ち止まって考えても遅いのに、僕はただぼんやり現実と夢の狭間で息をするだけで何も進まない。ただひと肌が欲しい。優しくされたい。生きるのに疲れてしまったけれど、それでも誰かと温かさを共有したい。寂しいという感情は難しい。誰かに愛されているのが好きでその温かさが好きなのにいつか離れてしまうんだろうなという不安感に殺される。寂しいと伝えるだけで重いとかめんどいとか言われる世界で僕はどうやって」人を愛せばいいのかわからない。

僕は好きな人に依存する体質であるからすぐに重くなってしまう。それが好かれない原因なんだろうけれど、やめられない。好きなものは仕方がないじゃないか。全身全霊をかけて好きだと伝えたら何がいけないのだろう。そんなに遊び半分で好きなんだろうか。僕だけが重いのだろうか。僕は確かにわがままだしどうしようもない人間だけれどそれでも誰よりそのひとが好きなのだ。どうして伝わらないのか。愛されたい。それの何がだめなのか。愛がほしい。伝え合いたい。

寂しい。

生きているだけですごい。

めちゃくちゃ世間的成功者の語る希死念慮ってなんだとおもいます?

いや、まあ生きていればどんな成功者でもつらいことはあると思いますよ。でも成功しているだけいいじゃないですか。さも、こちら側の絶望を理解しているみたいに語り掛けてくれちゃいますけど多分、多分ですけど全然レベルが違くないですかね。「死にたい」の一言をとってもすごい幅があると思うんですよー。本当に死ぬしかないような人に笑いながら「ああ、うん。わかるわかる。私もいつも死にたいよ笑。」的なテンションで話しかけられても、それ絶対煽ってますよねってことです。

他人の批判はともかく、最近はしにたいはしにたいですがだいぶ明るい病み方になってきましたね。「今日も目が覚めてしまったかー。頑張りたくはないなあ。まあ明日明日。明日だめなら来世来世。寝よう!」みたいな感じになってます。頑張りたくないんですよ。二十歳の若者が何をぬるいことを言っているんだと叩かれそうですが、頑張りたくないものは仕方なくないですか。頑張ったって報われる保証もなく、どんなに地位を高めたりお金を手にしても結局いつかは死ぬので。無駄じゃないですか。何もなくなるために頑張るんですか。いやですよそんなの。できるだけ楽して、楽がだめなら死んでもいいくらいの勢いで生きたいですね。生き急ぐくらいなら死に急いでいきますよ。

まあそんなこと言っても「生きていれば楽しいこともあるさ」とか言い出す人がいそうなんで言っておきますけど、楽しいことって何ですか。そんな一瞬の娯楽のためにあとの八割九割の苦しみを耐えるんですか。だいたい生きていたって楽しいことほとんどないですよ。朝は起きるのが辛くて、ご飯食べるのが面倒で、着替えはだるくて、わざわざ外に出て人に文句を言われながら関わって働いて、お金を作って、帰ればまた家の人に文句を言われる。極度の人間不信なので恋人は生理的に作れませんし、家族でさえも信用はできず誰にも頼れませんからストレスはたまるしかなく。こんな人生の何が楽しいんですかね。まったく理解できませんよ。唯一の楽しみは疲れた時に飲むアルコールだけ。アルコールは何でも忘れられるので好きですけどそれも記憶ごと飛ぶので楽しくはないですね。ほら、結局何もないじゃないですか。

布団でごろごろして生きてるだけですごいって言われたいんですよ!生きてるんですよ。すごいじゃないですか。こんな何の意味もない人生を生まれてしまったが故に強制的に生きなきゃいけないのに、ちゃんとまだ生命をつないでいるんですよ!?褒められていいですよこれは。生きている全ての人類の皆さんすごいんですって。だからもっとゆるくいきませんか。適当に食べて飲んで息していたくないですか。頑張るのはやめましょうよ。疲れたくないです。

はあ、現実逃避ですけどね。

アネモネ

どんなに信じても必ず裏切られる。だから期待なんてしたくなかった。でもどんなにしないようにしていたって心の隅では少し期待してしまうもので、それが裏切られた時の痛みは計り知れなくてまるでナイフで心をめちゃくちゃに刺されているみたいだ。痛い。本当に痛い。頭まで犯されているほどの苦しみ。

私は愛されたかっただけなのだ。愛されないと分かっていても甘い夢を見てしまったのだ。許されない望みを抱いた罰は厳しくて、きっと私はもう誰の言葉も愛も何も信用なんてできなくなってしまった。私の人間関係も信頼も愛も終わってしまった。もう例え愛されてもそれを感じることも理解することも信じることもできない。寂しい世界になった。

私は幸せになりたかったのになあ。許されないんですか。こんなに努力しても尽くしてもダメなんですね。私は愛を抱いてはいけないんですね。

不自然な笑みが込み上げてきて泣きながら笑って色んな思い出を振り返って、それでも相手を責められない。私が悪いのだろうと思ってしまう。全部全部私のせいで、私がここに存在して人に愛なんか抱くからこんなことになったんだと。理解ができない。どうやったら生きていけるのか。どうしたら幸せになれるのか。なんでこんなに孤独なんだ。家族にも誰にも愛してもらえないんだ。つらい。ただただ素直につらい。消えてしまいたい。

愛ってそんなに軽いんですか。誰にでもあっさり伝えるんですか。ひと月も経たないうちに消え去るものなんですか。私の何がだめですか。全部ですか。存在そのものですか。生まれなければよかったんですか。どうして皆さんは楽しそうなんですか。私はどうして笑えないんですか。救いがないんですか。

何を思えばよかったのだろう。どう生きたらうまくいっていたのだろう。私という生命自体がだめなのか。何も考えられない。何のために生きればいいのかわからない。でももう二度と誰も信用しない。誰の言葉も届かない。私はたった一人の世界を歩いていく。何一つ期待せずただ死ぬために生きていく。それしかすることがない。

生命の浪費。ああ本当に生まれなければよかったなあ。こんな無意味な世界をいきるくらいなら。死にたくないけど生きたくない。生まれたことを嘆くばっかりだ。もう疲れたなあ。

疲れた。

自業自得

悪夢はいつ覚めるのか。きっと死ぬまで覚めない。

朝日が痛い。失敗を繰り返して生きるのが怖い。日々が冷たくて何もない。毎日何も起きない。真っ白なジグソーパズルをひたすら作っている気分でいつまでたっても完成せず、先も見えない。苦しいし辞めたいのにやめられない。

ここ最近不眠が特にひどくなった。毎日、自分か誰かが自殺する夢を見て起きてしまう。五時間寝れば長いほうで、流石に体力と気力の限界なのにそれでも眠れず、常に注意力散漫だ。それに、自分が死ぬ姿を見て起きるのは気分が悪い。毎日死んでいるようなものなのだ。早く死になさいと洗脳されている気分になる。最早、起きた瞬間から襲われる吐き気と頭痛を感じない日はなくなった。正直かなりきつい。だんだん夢と現実の区別が曖昧になって今がどっちなのか考える時もあるほどだ。本当に頭がおかしくなりそう。今までの自分の全てのツケが回ってきてしまってどんどん首が締まっていく。後回しにしていた問題に追われているのに身動きが取れなくて、ただただ他人事のように傍観を続けることしかできない。まさに自業自得。

もうどうすれば良いか何一つわからない。人間関係も学習も家族も自分自身も何もかもが壊れている。空回りとすれ違いでぐちゃぐちゃでどれも戻せないし直せない。全方面が包囲されて後は首を落とされるのを待つだけ。助けなんてない。味方はすべていなくなってしまって一人。極度の人間不信。誰にも頼れない。でもこの苦しみが外的要因ならよかったのに全ての責任は自分自身でただただ責める相手は私しかいない。無限ループ。終わりがない。いっそ夢のように…まで考えて頭を横に振る。死にたくはない。無駄でも生きていたい。生きているだけで褒められたい。もうそれで十分だと思いたい。すべての期待を殺したい。そして寝たい。とにかく安心して寝たい。こんな毎日不安に侵されながら息をするのは疲れてしまった。楽になりたくて酒に逃げるのもうんざりでそんな自分が嫌いで嫌いでたまらない。でも信じられるのは自分しかいないので鏡に向かって薄ら笑いで嫌いな自分を褒めるしか生きる手段がない。もうだめだ。全部終わりだ。どうにもできない。諦め諦め。

生きるのが難しすぎる。

未来

脱いだままの服と飲み干した缶ビールの空き缶、手を付けていない参考書、敷きっぱなしの布団で起き上がればそんな光景がいつも広がる。目が覚めて真っ先に感じる絶望感。何もできず何にもなれず生きる気力の足りない僕は毎日、息をするだけで疲れてしまう。もうどうして僕は…なんて考えるのをやめた。僕はどうやらどうすることもできないらしいので、ああもうこのままだらだら死ぬしかないんだなと受け入れることにした。家族に「出来損ない。産まなければよかった」と言われていたって「そんなことない、ひどいじゃないか」と反論する気さえ起きない。紛れもない事実であって僕自身産まれなければよかったと何度思ったことか。だから、そうだね。となるだけ。さみしい人生だねと言われるが、寂しいなんて感情は忘れてしまったし痛みも苦しみももう精いっぱい味わって何も感じなくなってしまった。だから今はむしろ幸福で、もう何もしないで死ぬのを待てば良いんだなという安心感で満ちている。頑張るなんて優れている人がするべきだ。僕にはできなかったんだ。

もう期待なんてやめた。人にも努力にも自分にも何一つ期待はしなくなった。他人のかける甘い言葉はすべて一時の気の迷いに過ぎなくて、それを本気になって信じ込んだって後で自分が苦しむだけだとわかった。努力は当たり前のように裏切るし、自分はいつまでたっても何もしてくれない。今日の僕も明日の僕も期待するだけ無駄で、同じようにクズなまま。孤独に生きるということはきっとこういうことだ。だれもいないのではなく自分が誰も信じられず全てを閉ざすというような。軽い気持ちで放つ僕への優しい言葉を信じたくなるのに一生懸命信頼しても結局嘘で、後に残るのは傷ついた自分と笑って生きている相手。無駄だなあと思った。僕がこんなに絶望しているときに、笑って人生を楽しんで生きて僕の苦しみは無視して関わらなくなっていつかの約束も消え去って、僕とその人との関係が終わる。何に感謝しているのかもわからない「今までありがとう」と訳も分からず答える「楽しかったよ」。何も楽しくなかったなあと思うと、全然共感できていなかったと知る。

僕は誰も愛せないし愛されていると分からない。だからただただ残りの少ないであろう人生を死を待つために浪費し続けるのだと思う。きっとあと半年後は何もない部屋でその日の生活も怪しいくらいの日々を生きて諦めて自ら死ぬことになるのだろうから今なんてどうでもいい。何もかもどうでもいい。

終わった人生のことなんて。

感受性

見えない。先が見えない。どうしたって真っ暗で怖くてたまらない。空虚な妄想の世界にずっといられるならひどく幸せだろうに。私は幸せになれない。

生きることを恐怖に感じることが時々ある。今すぐにでも殺してほしいような気持ちの悪い感情に支配されて動けない。朝目を覚ましたときの絶望感。「あ、生きてる」と思った瞬間から始まる生きることへの不安。これらを感じた日はもうどうしようもない。ただ布団に顔を伏せて「死にたい」という感情を押し殺すしかない。何も食べず動きもせずただただ時間を浪費する。こんな日は自分は本当にどうしようもない人間で、生きていても何の意味もなく存在価値もなく早く消えてしまえばいいのにみたいな思考しか頭がしてくれないので考えても無駄だと知っている。今だって起きたばかりだがもう寝たいと思っている。今日は恐らく泥のような一日しか過ごせない。こうして毎日を無駄にしていく。ありふれた日常を生きることすらままならない。

こんな人生の何がよくて私は毎日目を覚ますのか。楽しいことのほうが少ない。目標もしたいこともできることも何もない。両親にも愛されなかったこの体で何のために息をして光を浴びているのか。何もわからない。ずっとわからない。私は人よりもできることが少ないことは自覚している。だからどうしたってろくな未来がないのは想像できる。だったらいっそ死んだほうが楽じゃないかとまで考える。生きてるだけで恐怖を抱くのにどうしたら幸せになんてなれるのだろう。なりたいわけでもないが。期待はしていないので幸福になるつもりなんかそもそもないというか諦めた。どんなに望んでも叶わないのが世界のルールのようだから何も思わないほうがずっといい。たとえそれを世間が甘えだと逃げだと言おうが私にはこれしかできない。

twitterかなにかで、皆それぞれ似たり寄ったりな苦労や辛い思いをしているみたいな話が合った。私は信じられなかった。もし私と同じようにこれほどまでに色々あってそれでも精神的に健康に生きているならそのほうがどうかしている。理解できない。私の精神はそんなに弱いのか。生きているだけで毎日怖くならないのか。どうして。だとしたらもう私がただの欠陥だらけの人だということなのだろうし最早諦めるしか手段がないのだと再認識させられているようだ。私は悲劇のヒロインぶっているだけでそれに浸っているだけなのかもしれないがそんなの感じ方はひとそれぞれじゃないか。ほっといてほしい。

だんだん何が言いたいかわからなくなってきたのでやめる。

それをひとはなんと呼ぶ。

僕は神様になりたかったのだ。

僕の神様はひどく残酷だ。全てを失った僕に差し伸べられた手を信じて愛したのに神様は僕を助けてなんてくれなかった。裏切った。全てを賭けていたのに僕は耐えられなかった。愛されたかった、幸せになりたかった。でも後から気がついた。あれは裏切りではなく愛なのだと。だって神様が僕に与えたその痛みが愛でないというのならあまりに酷すぎるじゃないか。でもそんなことはありえない。だからこれは愛なんだ。愛に決まっているんだ。だから今度は僕が神様になりたいと思った。

僕はきっと誰かと幸せになりたいのではない。救いたいわけじゃない。苦しんでほしい。五年前、君に振られたあの日から僕はずっと思ってきた。「僕を頭から信じてだめになる君が見たい」と。君から全て無くなれば良いのに。縋る先が僕だけになればいい。世界中が君の敵になって君の世界が僕だけになれば、君の神様になれる。君がもっと苦しんで僕しか見えなくなれば素敵だ。その愛おしい口で「いらなくなったら捨てていいから愛して」とその一言がほしい。あくまで僕からではない彼女からの一方的な愛として。

昔、薬物やアルコール依存症の映像を見たとき、目の前が輝いたことがある。まるで宗教のようにひとつのものにこんなにも執着して欲しがり、人生や自分の全てを捧げ壊れる姿…だって薬物は神様のように辛い現実からひとを救うために存在しているんだ。大切な人を傷つけることで愛している。薬物依存は薬物と世界に捨てられた人間との愛の物語だった。僕が求めているのは、それに近いような盲信だ。例えば、僕が君に毒を差し出しても、君はあっさり受け取るんだ。それが毒だと知らないからではない。たとえ知っていてもそれは愛だと知っているから受け取る。自ら「不幸に落としたいなら落ちてもいい」と思ってくれる。僕のために壊れてくれる。ある一種の共依存。君は僕がいないと生きられない、僕は君を傷つけないと生きていけない。僕以外の誰にも触れさせたくない。傷つけていいのも優しくしていいのも裏切っていいのも愛していいのも全て僕だけ。それはあまりに非現実的だが、とても美しい。

一般的に「幸せにします」と愛を誓う。幸せなんて難しいのに。幸せなんかより苦しみや痛みを伴う不幸のほうがずっと強く結びつく。忘れられないから。僕は自分の手で相手を不幸に落とすのが好きだ。君を幸せにするなんて死んでも言ってやらない。むしろ僕から突き放して君が「自分が悪かった、自分のせいだ」とひたすら後悔し自分がいけなかったのだとずっと責め続ければいいのに。罪悪感に囚われて一生そうやって執着してくれたら、君を傷つける全てを忘れさせる。僕だけの前で僕だけの傷でいっぱいになればいい。

これは全て確かに僕の愛なんだ。紛れも無い愛だ。僕はこの愛しか知らない。世界は僕を痛みでしか愛したことがないから。幸福な人ほど堕ちてほしい。僕の中にある絶望という愛で君を殺したいと感じたんだ。僕の気持ちも知りもしないで、自分の尺度で語る愛なんかを押し付けて「受け止める」だの「よくないよ」だの言えるその人生をこわしてやりたい。どうしようもなく僕の胸が痛いから。僕の愛だけが痛いことに嫌悪するんだ。許せなかった。僕には何もくれないのに。だから離れた全てのものの代わりに残酷なほどの執着をもらってもいいだろう?神様は僕をこうして愛したんだ。僕が神様になることを止める存在なんてどこにもないよ。神が得ているその盲信を僕にもちょうだい。する立場じゃなくされる側として。

僕にひとを愛する権利をくださいよ。どうか。