遺書のつもりだった

私は明日、死ぬつもりだった。

酔った勢いで死んでやろうと思っていた。甘い、自己満足的なものだ。今日のこのブログの内容は遺書の代わりにしようと考えていた。今度こそ、死ねると思った。決心だってついていたはずだった。

こんなにも死にたいと、いや、死ぬことが正解だと理解していながら、惜しくなってしまった。

私には何もないのだ。本当に何もない。生きている理由がない。

なりたいものも、誰かを幸せにすることも、努力できる力も、未来を望むことも、生きようという気力もない。ないのだ。生きていて良い理由がない。

望まれずに生まれた私が、苦労して生きてきた両親の人生を殺していることが、友人に皆に迷惑ばかりかけて生きていることが、これから先生きていても、役にも立てないことが、苦しくてたまらない。努力もできない、まともに生きることも、向上することも、愛すことも愛されることもできない。借金ばかりで、頭も悪くて、そのくせ頑張れなくて、人を不幸にしているとわかっていて生きてるのは罪としか思えない。罪悪感で死にそうだ。死にそう、ああ、死ねたらよかったのに。

気持ちが悪くてしょうがない。自分に生があることが。なぜ生きてしまったのか。なぜ、生まれてしまったのか。どうして泣きながら私はこんなことを思って書いて苦しまなければいけないのか。気持ちが悪い、世の摂理が嫌だ。生きる価値のないものを産み落とさないでくれ。神が居るなら残酷だ。あんまりだ。

生きていて良かったと思うことなどないのだ。ない。断言しよう。後悔もない。死なない理由など本当はどこにもない。死ぬことすらできない自分が愚かでくだらなく、どうしようもなくそれすら罪に感じる。それなのに死のうと思うと恐怖で動けない。つい、怖くなる。

何でもほしいものをあげるといわれたら私は「死ぬ勇気」がほしい。

生きているのはうんざりなんだ。申し訳なくてこんな罪を抱えて生きているのはひどく重くて痛いんだ。いつになったら死ねるんだ。

こんな文章がなんだ。ただの罪人の戯言じゃないか。ばかばかしい。死にたいなら死ねばいいのだ。読者だって友人だって誰もがそう思っている。

こんなところに愚痴を書いていないで、さっさと死ねと、そう思っているに違いない。申し訳ない。私だって望まれていないことなど知っている。わかっている。こんなのは無意味だ。私は読者に心配されたいのではない。そんな期待はしない。

わかっているんだ。理解している。しているとも。

それでも「生きてて良い」と言われたいと、思って、しまったんだ。

愚かにも一級の罪人が許しを願ってしまった。人は愚かだ。どうしようもない。私は明日も酒を飲むことだけを頼りに生きてしまうのだから。

 

本当は生きていたいんだろうか。