不平等

平等にと人は言う。

その平等とは何を基準とする平等だろうか。例えば、お金のない人からもある人からも同じだけお金を取るのが平等か、それとも多い人からは多く少ない人からは少なく取るのが平等か。何をそろえるかで全然話が変わる。

だいたい平等を目指しても人はもともと不平等な生き物なのにおかしな話だ。生まれる時、親も家も兄弟も国も性別も何も選べない。勝手にこの世に生まれ、生きろと言われる。理不尽極まりない。

お金持ちだったり、何かを生み出したり成し遂げたり、良い大学を出ていたりすることを人は成功と呼ぶ。誰もがそこを目指すが、恐らく成功するのは簡単ではない。皆が平等に、同じような家庭に生まれ同じような教育を受け、同じような生活環境だったなら皆が成功できるかもしれない。実際は不平等なので、お金があり両親共に優秀、小さいときからの英才教育を受けている家庭もあれば、片親であったり、お金が不足していたり、虐待されている家庭だってある。他もそうだ。友達に恵まれ大きな不幸に見舞われないで生きてきた人もいれば、いじめられたり、何か事件に巻き込まれてしまったりして辛い思いを沢山して生きてきた人もいる。

そう考えると「成功できないことを環境のせいにするな」というのはあんまりな気がする。もしかしたらそういっている本人は大変な苦労をしてそれでも成功したのかもしれないが、そうだとしてもあんまりだ。そういう人も成功するきっかけが何かあるはずだ。どんなに成功したくとも虐待されて家庭の仕事を全てやらなければならなかったり、あるいは親が病気になってお金が足りず参考書ひとつ買えないこともあるかもしれない。精神的にうつ病などになってしまった人だっているだろう。でもそれは、なにかそこから向上する機会がないと環境は変わらないはずだ。そんな人たちを相手に「成功できないのは甘えだ」というのは少し残酷だ。そんな不平等なところで同じように比べられても困るだろう。

苦労した人も成功するきっかけがあると言ったが、これは運の良し悪しだと思う。

運の良し悪しは本当に不平等だと実感する。ちなみに私自身は運がとても悪い。詐欺にひっかかったり、自分の品だけ注文して忘れられたり、受験のとき自分の電車だけ止まったり、受験票が届かなかったり、普段はチェックしない課題を私が初めて忘れたときに限ってチェックがあったり、歩いていたら打ち水をかけられたり、上から植木鉢が落ちてきたり、青で渡っているのに車に引かれたり、テストで勘で書けば全部外れるのが常(本当に一度もあたったことがない)、クジや福引などは絶対当たらない・・・とまあこんなことが何回もある。とにかく運がない。

それなのに友人は、課題を忘れたときに限って集める日が変更になったり、テストで勘で八割取れてしまったり(しかも何故かいつも)、福引でハワイを当てたり、面接でたまたま趣味が合っただけで受かったり、偶然早く帰宅したらその後雷雨になった・・・とかとにかく運が良い。

運なんて回ってくるものだよ!と言われることもあるがかれこれ20年生きてまだ回ってこないのか。だから断言しよう。人には運の良い人と悪い人がいる。悪い場合は諦めよう。どうしようもない。今までかなり損をしてきたが不可抗力なので防げない。「成功したくても時間がかかるんだな」とか「成功には向いてなさそうだけど頑張るか」というようになんとか進むほかない。

だからむやみに平等という言葉でおさめようとするべきではないと思う。そりゃあ平等は素敵だと思うが不可能だ。現実的じゃあない。ただの理想論。皆が皆、自分と同じと思ってはいけない。運のような抗えないことも中には存在するんだ。成功した人が気がついていないだけで、すごく環境に恵まれていたり、運がとても良かったりするのかもしれないからね。