ちょうどいい。

月が変わっても私の気持ちは進まない。五月病を引きずっている。無限ループみたいな日常なのに、「明日が来なければいいのに」を毎日言ってる。生産性なんてない。でもこれは確かに私の幸せだ。

夏になる。私は夏が好きだ。優しい気持ちになるのに、暑い日差しは私を許してくれなくて悲しくなるから、好き。夏の匂いは独特で、春のような新しい清々しい気持ちを運ぶ訳でもないし、秋のようにほっこりするような柔らかい匂いでもない、冬のしんとした心の奥底まで見えるようなものでもない。

もっと、虚無だ。懐かしいような寂しいような気持ちでいっぱいになる。うまく言葉にできない。孤独さを実感する。一人の夏は長い。

昨日、甥の運動会に行ったのだけれど、夏の運動会はノスタルジーの詰め込みみたいな空間だった。当時の苦しみや痛みや楽しみの記憶がわっと溢れて懐かしいような悲しいような胸が締め付けられる感じがした。当時の自分と重ねて、何だかとても申し訳なくなる。あの頃の夢も希望も描いていた未来も全部消してしまった。全部終わってしまった。幼い私が見たらきっと悲しむだろう。ごめんね。

でも、幸せなんだ。そんな大それた夢もないけれど、明日を生きていく自信すらないけれど、それでも確かに幸せだと知ってる。こんな無意味な毎日が愛おしくて、もう多分どんな壮大な夢よりもずっと遥かに美しいと思う。これでいいんだ。きっと。何も無い、それでいい。誰に許されなくても私は笑っていられるし、今はまだ生きている。高望みなんてしなくても十分なんだ。

知らない場所で誰かが幸せならいい。私のことなんてみんな忘れてしまえばいい。そうしていつか、世界に殺されて私はやっと安心できる。誰も私を知らない世界で、ようやく息がつけるんだ。捻くれていて、卑屈だから、普通の幸せを手に入れたらその責任で死んじゃいそうだ。

報われないくらいがちょうど良い。不運なくらいが、寂しいくらいが、ベストなんだ。誰かの幸せを見て笑ってるくらいが結局私の中では満足なのだろう。向いてない。幸福に不向きだ。幸福が苦手なんだ。

なんだか本当に世界にひとりきりな気がしている。こんな朝方だから静かで、私の存在が誰にも気づかれてないみたい。寂しい。悲しいなあ。こんなに心が痛いなら生まれてくる時に心がなければよかったのに。そんな無意味なifを考える。

でも心があって誰かの痛みがわかるならどんなに辛くても痛くても、これでよかった。もう、私はずっと不幸でいいから周りを幸せにしてほしい。そうしたら、周りを蹴落として成功を掴み取るよりも、ずっと素敵で幸せな人生になると思う。人を傷つけて押しのけて手に入れた幸せなんて私には辛くて耐えられないから。

幸せなんて足りないくらいが丁度いいんだ。

私には。