蝉時雨

朝方。午前4時半。眠れずに半分開けた目の隙間から蝉の「ミーンミーン」という声が流れ込む。気持ちの良くない、ましてや目覚めですらない朝の苦味を舌で大切に味わった。

今日一日が良い日になりますように なんて両手を合わせて空に願ったところで良い日にはならない。良い日にしたいなら良い日にふさわしい行動をとるのが一番。知っている。

それが難しいからこんな朝方に生ぬるい空気の中でぷかぷか泳いでいるんじゃないか。もう長いこと浸りすぎて肌はふやけて溶けてしまいそうだ。いっそ溶けてしまおうか。いや、そんなわけにもいかない。

兎にも角にも生きなければならないのだ。今日生きたいとか生きたくないとかそういう感情の問題ではない。人間に時間という悪魔の呪いがかかっている限り進む以外の選択肢はないのだ。本のように戻ったり止まったり熟考したりなんてできない。何があろうが、何もなかろうが進む。動く歩道に乗せられてるみたいにたんたんと永遠に進んでいく。

蝉の声があまりにも体を駆け巡って痒いので、夏を認めてやることにした。散々、「夏はまだ来てない。まだ来てない。」と呪文のように自分に言い聞かせ、まだ初夏か〜と呑気に笑っているつもりだったのだが、もう潮時である。仕方がない。夏なのだ。そう、今は紛れもなく夏。寝苦しい夜も、四六時中、自分の体液のシャワーを浴びるのも、喉が求める水色の二酸化炭素も明らかに夏だった。

もうだめだ。殺される。こんなのはだめなんだ。夏が来てしまったらもう終わりだ。自分の生命の終わりだ。あのうるさい蝉の、悲しく儚く一週間で終わってしまう命のように、たかが一二ヶ月の夏で死んでしまう。そんなもの。怖い、怖いさ。夏と目を合わせたら逃げられない。今日の絶望からも逃げられないのに夏からなんて逃げられるわけがない。

だから、横たわる夏の空気に犯されて息も絶え絶えなこの甘ったるい現実を壊すためにやってきたんだ。逃げられないなら戦うしかない。真正面から今年は全力で、星に乗って君をやっつける。

そしたら天の川の下の澄んだ涼しい空気の中で勝利を祝う。生ぬるい空気で体がふやける前に早く出て自由自在に空を飛んでやるんだ。君に勝ったらやっと美味しい現実を食べれる。甘ったるくも生ぬるくもない爽やかで愛おしい現実を。

やっぱり人生は最高だ。