再演

自分が違う誰かのように感じる瞬間。頭の中でカンカンカンと遮断機のような音が鳴り響く、目を閉じて息を吸って目を開ければ今までの自分を忘却する。「嗚呼、この自分は誰だろう。」知らない。全く知らない。私の知っている私ではない誰か。数秒前のドロドロとした吐き気を催す気味の悪い思考が嘘みたいに真っ白になっていた。はっと息をつく。紛れもなく私なのだが、先程までの自分はどこへ消えた?感情の共有が果たされない。私は私を理解できない。慌てて鏡を見てみても映っているのは、瞳孔が開いて焦った顔で必死にへらへら笑う私の顔であって他の誰でもなかった。

はて。私はこのように毎日、あるいは週毎に、違う誰かになり続けてるのではあるまいか。以前の自分を別人に感じるのはその度に人が変わっているからではないか。まあ実際、そんなことはないだろうがそれに近いような感覚だ。

自分の道を信じて歩きたくて、寄り道をしたくなくて、自分を作ることに必死になる。誰だかわからなくならないように。私に笑いかける私が私だとわかるために。自分と分かり合えない時の、自分が消えてしまう感覚はなんだ?手で触れることも出来るのに、声を出せば喋ることも出来る、目を開いて何かを見ることも出来るのに、それでも確信が得られない。何でもない時にふと訪れる「誰?」という得体の知れない気持ち悪さ。こんなの自分じゃないと喚いてる時に囁かれる声は誰か。今私を支配しているのは何か。

でも、たとえそれがどんな得体の知れない何だとしても私がしたいようにしてくれるならなんだって構わない。誰だか知らないが、うまく私を扱ってくれるなら何だっていいんだ。どうせ元の私がいても死刑ばかり望んでいるんだ。だからいくらだって殺して良い。いらない自分は消えてしまえばいい。非常に残念だが、自分を保とうという気なんてそもそもないんだ。死にたいと零す私なんて死ねば良い。死にたいなら死ぬのが一番だろう?私は自分がどんなやつでも信じてあげられる。嫌なら辞めればいい。所詮他人は私のことを目に止めないから気付かないんだ。だからどんなに「私を信じて」「僕に頼って」と言われたって、一度裏切った人間の言葉なんて信じられると思うか?生憎、私は自分が味方をしてくれるんだ。他人に望んだりする必要なんてない。

別にどうでもいい、他人の言葉も行動も全部興味もない。面白ければいい。どこで誰かが死のうが、困っていようが、それは助けたい人間が助ければ良い。私には関係の無い話だ。ただ死ぬ時が来るのを待ってる人生なのに、何をそんなに望むんだ?

何故君は死なないんだ?