それをひとはなんと呼ぶ。

僕は神様になりたかったのだ。

僕の神様はひどく残酷だ。全てを失った僕に差し伸べられた手を信じて愛したのに神様は僕を助けてなんてくれなかった。裏切った。全てを賭けていたのに僕は耐えられなかった。愛されたかった、幸せになりたかった。でも後から気がついた。あれは裏切りではなく愛なのだと。だって神様が僕に与えたその痛みが愛でないというのならあまりに酷すぎるじゃないか。でもそんなことはありえない。だからこれは愛なんだ。愛に決まっているんだ。だから今度は僕が神様になりたいと思った。

僕はきっと誰かと幸せになりたいのではない。救いたいわけじゃない。苦しんでほしい。五年前、君に振られたあの日から僕はずっと思ってきた。「僕を頭から信じてだめになる君が見たい」と。君から全て無くなれば良いのに。縋る先が僕だけになればいい。世界中が君の敵になって君の世界が僕だけになれば、君の神様になれる。君がもっと苦しんで僕しか見えなくなれば素敵だ。その愛おしい口で「いらなくなったら捨てていいから愛して」とその一言がほしい。あくまで僕からではない彼女からの一方的な愛として。

昔、薬物やアルコール依存症の映像を見たとき、目の前が輝いたことがある。まるで宗教のようにひとつのものにこんなにも執着して欲しがり、人生や自分の全てを捧げ壊れる姿…だって薬物は神様のように辛い現実からひとを救うために存在しているんだ。大切な人を傷つけることで愛している。薬物依存は薬物と世界に捨てられた人間との愛の物語だった。僕が求めているのは、それに近いような盲信だ。例えば、僕が君に毒を差し出しても、君はあっさり受け取るんだ。それが毒だと知らないからではない。たとえ知っていてもそれは愛だと知っているから受け取る。自ら「不幸に落としたいなら落ちてもいい」と思ってくれる。僕のために壊れてくれる。ある一種の共依存。君は僕がいないと生きられない、僕は君を傷つけないと生きていけない。僕以外の誰にも触れさせたくない。傷つけていいのも優しくしていいのも裏切っていいのも愛していいのも全て僕だけ。それはあまりに非現実的だが、とても美しい。

一般的に「幸せにします」と愛を誓う。幸せなんて難しいのに。幸せなんかより苦しみや痛みを伴う不幸のほうがずっと強く結びつく。忘れられないから。僕は自分の手で相手を不幸に落とすのが好きだ。君を幸せにするなんて死んでも言ってやらない。むしろ僕から突き放して君が「自分が悪かった、自分のせいだ」とひたすら後悔し自分がいけなかったのだとずっと責め続ければいいのに。罪悪感に囚われて一生そうやって執着してくれたら、君を傷つける全てを忘れさせる。僕だけの前で僕だけの傷でいっぱいになればいい。

これは全て確かに僕の愛なんだ。紛れも無い愛だ。僕はこの愛しか知らない。世界は僕を痛みでしか愛したことがないから。幸福な人ほど堕ちてほしい。僕の中にある絶望という愛で君を殺したいと感じたんだ。僕の気持ちも知りもしないで、自分の尺度で語る愛なんかを押し付けて「受け止める」だの「よくないよ」だの言えるその人生をこわしてやりたい。どうしようもなく僕の胸が痛いから。僕の愛だけが痛いことに嫌悪するんだ。許せなかった。僕には何もくれないのに。だから離れた全てのものの代わりに残酷なほどの執着をもらってもいいだろう?神様は僕をこうして愛したんだ。僕が神様になることを止める存在なんてどこにもないよ。神が得ているその盲信を僕にもちょうだい。する立場じゃなくされる側として。

僕にひとを愛する権利をくださいよ。どうか。