未来

脱いだままの服と飲み干した缶ビールの空き缶、手を付けていない参考書、敷きっぱなしの布団で起き上がればそんな光景がいつも広がる。目が覚めて真っ先に感じる絶望感。何もできず何にもなれず生きる気力の足りない僕は毎日、息をするだけで疲れてしまう。もうどうして僕は…なんて考えるのをやめた。僕はどうやらどうすることもできないらしいので、ああもうこのままだらだら死ぬしかないんだなと受け入れることにした。家族に「出来損ない。産まなければよかった」と言われていたって「そんなことない、ひどいじゃないか」と反論する気さえ起きない。紛れもない事実であって僕自身産まれなければよかったと何度思ったことか。だから、そうだね。となるだけ。さみしい人生だねと言われるが、寂しいなんて感情は忘れてしまったし痛みも苦しみももう精いっぱい味わって何も感じなくなってしまった。だから今はむしろ幸福で、もう何もしないで死ぬのを待てば良いんだなという安心感で満ちている。頑張るなんて優れている人がするべきだ。僕にはできなかったんだ。

もう期待なんてやめた。人にも努力にも自分にも何一つ期待はしなくなった。他人のかける甘い言葉はすべて一時の気の迷いに過ぎなくて、それを本気になって信じ込んだって後で自分が苦しむだけだとわかった。努力は当たり前のように裏切るし、自分はいつまでたっても何もしてくれない。今日の僕も明日の僕も期待するだけ無駄で、同じようにクズなまま。孤独に生きるということはきっとこういうことだ。だれもいないのではなく自分が誰も信じられず全てを閉ざすというような。軽い気持ちで放つ僕への優しい言葉を信じたくなるのに一生懸命信頼しても結局嘘で、後に残るのは傷ついた自分と笑って生きている相手。無駄だなあと思った。僕がこんなに絶望しているときに、笑って人生を楽しんで生きて僕の苦しみは無視して関わらなくなっていつかの約束も消え去って、僕とその人との関係が終わる。何に感謝しているのかもわからない「今までありがとう」と訳も分からず答える「楽しかったよ」。何も楽しくなかったなあと思うと、全然共感できていなかったと知る。

僕は誰も愛せないし愛されていると分からない。だからただただ残りの少ないであろう人生を死を待つために浪費し続けるのだと思う。きっとあと半年後は何もない部屋でその日の生活も怪しいくらいの日々を生きて諦めて自ら死ぬことになるのだろうから今なんてどうでもいい。何もかもどうでもいい。

終わった人生のことなんて。